第34章 焚火はストレス解消の素(2005.8.24)
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秋は焚火のシーズンです。昔から焚火は落ち葉が始まる季節と決まっている。お芋の実りを焼芋で味わい、収穫の幸福感に浸る、昔からの日本の文化と言っても大袈裟ではないだろう。古代の人間が火を使い始めた時と同じように、焚火を囲む時間はゆっくりと流れる。最近のキャンプサイトでは直火の使用を禁止しているため、焚火をする機会がめっきり減少した。山小屋では、ガスなどは極力、使用しないで、直火での飯盒や焼肉を楽しんでいる。夕暮れから始める焚火は、辺りが暗闇に包まれる頃には、いつの間にか心の中に暖かいものを感じることができる。一方、山小屋の建築場所を確保、整備するため、枯れ枝を処分するために、焚火をした。それは、焚火の域を超えたものになった。

「パチパチパチ・・・・・・」
「火を見ていると本当に飽きないね」
「本当、不思議と退屈じゃないね」
「何にも考えないで、ボーとただ火を見ているだけで不思議と心地よい」
「何でやろ」
「ウーン、多分、火は畏れ多いものと潜在的な心の奥に感じるものがあるのかもしれんね」
「普段に似合わず、意外と哲学的なことをいうよね」
「すまんのう、火の神の言葉と思ってくれや」

焚火は地球温暖化の防止に逆行する行為との意見はあるものの、それ以上に都会の経済最優先の生活様式の方が問題は大きい。清き清流や海岸はコンクリートで固められる旧態依然とした田舎を馬鹿にしたバラマキ政治。何が郵政改革か、経済性最優先の今までの政府の対応は如何なものか。真の改革は、人が人として幸福感を実感できる社会づくりにあると考える。渓流から古タイヤを引き上げて、悪いこととは思いつつ、焼却したこともある。これはさすがに焚火ではなかった。ドス黒い大きな柱が空に向って伸びてきた。それにしても誰が渓流にタイヤや家電製品などを捨てるのだろうか。欧米と違い神が存在しない日本には、そんなモラルなど期待できないのか。

仕事でのストレスに加え、こんな様々なストレスを感じつつも、秋からの焚火がとても楽しみだ。今秋も、おいしい焼芋を食べたいものだ。

京都山小屋の住人

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