第94章 心の震災復興(2015.11.8)
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2011年3月11日(金)14時46分、マグニチュード9.0の大地震。15分後、第1波が岩手県宮古市に到達、34分後に大船渡で8mの津波観測。想定をはるかに超えた速さだった。
「よだ」、津波の話を語るにははまだまだ勇気がいるところだが、敢えて記載しておきたい。
・海辺の道を車で走っていると『助けてぇー』という若い女性の声が聞こえた。
・津波で瓦礫となった車の中を1台ずつ覗いていく子連れの女性がいる。
・『自分は生きているのか死んだのかわからない、乗せてもらえないか』と語りかける女性、タクシーに乗せるといつの間にか消えていた。
・枕元で『見つけてほしい、埋葬してほしい』と声が聞こえた。
・仮設住宅で毎夜『寒い』といった呻き声が聞こえる。
・夢の中で『なぜ津波で逃げなかったの?』と母に尋ねると困ったような顔をしたという。
・『生前は大酒飲みだったじいさまが亡くなってからはおとなしくなった』と愉快そうに話すおばあさん。
・明け方『これから漁に出るぞ』という合図みたいに漁へ出る時間に鳴る電話、今でもおばあさんは弁当を作っておじいさんの帰りを待つ。
・さまよう霊が不幸をもたらすことを恐れ、修復工事が中断してしまったという現場がある。
・真夜中、海岸から道路を渡ろうとする人影、急ブレーキをかけるが痕跡なし。『帰ってきたんだな』と呟き、その場でしばらく合掌。
・とある道路が夜間通行止めになるのは、幽霊の目撃談があまりに多いからという。
・夜になると大勢の人たちが走る足音が聞こえる。
・「幽霊の列」の噂。最後の瞬間の不毛な努力をなぞるかのように、丘へ向かって殺到、津波から何度も逃げようとする幽霊。
・津波から逃げているのか何度も同じ建物に駆け込む人影。
・大勢の人が亡くなった浜で青白い炎が見えたり、何処と無しに話し声が聞こえるという。etc
津波で多くの命が突然に失われ、家族や親類縁者、友人、知人など多くの被災者がいる中で、このような幽霊の話はけっして不思議なことでもなく現実だろう。阪神・淡路大震災などの時にもこのような話は耳にした。ただし、いずれもこれらの幽霊は怖いものではなく、身近な存在に近い。
その昔、死者の魂は神聖な山に宿ると云われてきた。あるいはあの世に行けない魂が、山などに修行のため棲むとも云われてきた。時代背景などに伴い、死後に対する考え方や弔いの姿なども変化をしてきた。現代の日本人の大半が死に対し、あまりにも現実感のない無関心な時代にあるということだろう。スーパーに行けば、肉が食料品として陳列されているし、調理されている食料品もある。自然や人に育てられ、その命を絶ち、血抜きをしながらそれをさばく。自然以外のものは、誰かが行っている現実は食欲の前では忘却の彼方なのだろう。
しかし、今回の災いを通じて「生と死」をより身近なものとして心の中に受け入れる厳しさや寛容さ、あるいは人間が本来持つと思われる感謝の気持ちを正面から見つめなす機会になったことは確かだと思う。
死を恐れ、死者を畏れ、死者とともに長い時間を過ごすことが当たり前で自然だった日本人。心の内面、目には見えない者との対話を通して少しでも癒えない心を癒す、古来から受けついできた日本の社会。これからも受け継いできたこのような心で助け合える社会でありたい。
たとえ超自然的な出来事や幽霊であったとしても、夢の中でも会えるだけで幸せという心の叫び、願いがある。心の復興も支援、祈りたい。「草木国土悉皆成仏」に合掌。
「山に死者の霊が宿ると昔の日本人は信じていたようだね」
「今でも年に2回のお彼岸の時には、山から町へ、そして各家に先祖の霊が里帰りする」
「京都では迎い鐘を衝き、五山の送り火には手をあわせてあの世に送り出すね」
「先祖に感謝することで、みんな幸せになるよ」
「今度はどんな先祖に会えることだろう」
震災後の夜空を見上げると、満天の星空が拡がっていたと云う。数多くの人たちが星々になったという思いに捉われたと云います。
絶望や悲しみの中で少しは心落ち着く瞬間であったに違いない。そして時が幾世も流れ、昔の話として語られることがきっと来るはずだ。
(次回に続く)