第48章 山里にはなぜか昔話が合う(2006.10.1) ------------------------------------------------------------------------------
天狗が棲むという鞍馬山を越えるとその昔、源平合戦に敗れた平家が生き延び、逃れたという落人の村、花背がある。正式には「花脊」と記述する。「ハナセ」の意味は、都の背骨、端の谷あいで狭いので端狭、花の都・京を背にする、あるいは前の人の背中に鼻がぶつかるほどきつい急な斜面を腰を屈め登ることから、等々の諸説がある。最近では、茅葺の里、美山と同様、芸術家などが好んで移り住み、浮世離れした土地ということで「離世」とも云われたりもする。
そんな古い山里、花背は意外に早く昭和24年に左京区に編入されているが、今でも細い山道を越えて行く、正に秘境。国道と言いながらも曲がりくねった急勾配の山道、車の離合ができない地点が多くある。そんな狭い道を大型の京都バスが行く。途中、車がすれ違えるよう、山道の何ヶ所かにプレハブ小屋があり、無線をもったバス会社から委託された係員がバスの通行を管理している。真夏は市内より涼しいので快適かもしれないが、雪降る真冬は大変でしょう。ご苦労様です。そう言えば、乗客がいないことから、終点まで運行しないで途中で市内に引き返してしまった運転手さんもいた。気持ち的には分からんでもないが、そこは看板を背負って走るバス、田舎は誰かがどこかでじぃっと見ているものです。今後も、くれぐれもお気をつけください候。でも、最近、市バスの運転手の対応もまともになってきました。国際観光都市・京都です。良い傾向です。京都バスは以前から、比較的評判はいいですね。JRバスはどうかなぁ。乗車したことはないですが、周山街道を走るところを見ている範囲では、先日も、方向指示を出さないで中川へ左折した運転手がいましたね。ところで今年は、花背のお隣の京北町が右京区に編入された。でも、同じ京都市でありながら、花背と京北町の一部の間はバス路線がない。採算性を考慮すると、狭い山道も大型バスを運行せざるを得ないのか。小型バスでは運行本数も増え、赤字幅がさらに増えるためなのか。高齢化が進んでいる過疎の村の交通手段、政治マターであるに違いない。また、携帯電話もこの辺りの大半の地域は、今でも道路沿いでも電波が届かない圏外の地域になる。山仕事従事者の悲願、せめて、この谷筋でアンテナ1本でも立てば何とかなるのになぁ。何とかしてよ、ドコモさん、auさんなどと、ぼやき声が山の中から聞こえてくる。
平成の今でも、こんな秘境、過疎の村には、多くの遺跡や伝説、伝承がある。
まずは「経塚」。花背別所経塚は花背峠を越えた北側斜面、標高700m付近の尾根筋に、経塚が作られたのは平安時代末期、12世紀中頃と云う。仏教の教典を書き写した「経巻」を青銅の筒に納め壺や石室内に納入して小さな塚を築いたもので、まぁ、現代で言えばお経のタイムカプセル。当時は、もっと山奥の僻地であったこんな場所に、大事なものを何故埋めたのか、当時の時代背景や姿を巡らすだけで楽しくなる。
最後に山小屋の近くに住むばっちゃさまから聴いた昔話一つ。むかし、むかし、京が建国で賑わっていたころのお話です。当時、都ができる前から、この地には炭焼きでほそぼそと生計を立てていた部落がありました。そんな部落の一番の働き頭、もんべ、30半ば。まだ、独り者であった。この日も朝早くから村の近くの山に入り、きのこ狩りと焚き木拾いをしていたそいうな。山里の日暮れ、特に秋の陽が傾きかけるのは早く、ひと段落する暇もなく目の前を聳える山の頂きに隠れてしまう。墨夜になる前に、たくさんの焚き木を背負い、腰にきのこが入った籠をぶら下げ、いそいで村の外れの祠をとおりかかった際のことだったそうな。
「ちょいと、そこのお前さん」「・・・・・」「お前さん、お待ちくださいませ」
「うん、なんだろか」と足を止め、声のする祠のある竹薮の中を伺った。
「道に、道に迷ってしもうたのえ」と白装束姿の髪の長い若い女が立っていたそうな。
「一緒に村までお連れ下さらんか、お頼み申し候」「お前、一人か、何処から来たんや」
すると暗魔(鞍馬)の方向を指差してから、「逃げてきたんどす」
「わかった。そんじゃ、後ろからついて来いや」とういと先を急ぐように慣れた山道を下って行った。
もんべの後を追うように、女も後をついてきたそうな。すっかり、山の影にお天道様が隠れてしまうと、山里は闇に包まれるけれども、今宵は大きな満月の優しい光が山道の足元を照らしていた。道中、一言も喋らず、黙って下りてきたが、ちょうど、もんべの家の前にかかる橋まできた時であった。
「ちょいと、お前さん、おおきにありがとさん」と後ろから声が聴こえてきた。もんべが振り返ると同時に、橋のたもとから、川の中に飛び込む魚の姿が一瞬見えた。満月に照らされ、淡い黄色の鱗と赤い斑点が輝いて見えた。女の姿はそこにはなかった。
次の朝、もんべがいつものように山に出る前に渡る橋のたもとから下を眺めると、そこには美しい山女が一匹、澄んだ渓流の中で優雅に泳いでいたそうな。
翌春、雪解けと共にもんべはきれいな働き者の嫁を都からもろうたそうな。その日からもんべ家では、代々渓流の女王、山女を口にすることはなっかたそうな。めでたし、めでたし。
ちなみにこの花背地域の名字には、物部と藤井の姓で占められている。同じ姓の方は地元に馴染む可能性がありますよ。おくどさんのある藁葺き屋根の家が点在している静かな里山です。
(次回に続く)