第53章 百姓への道はなお険し(2007.10.27)
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自然を相手にする農業、お天道さま、暑さ、寒さ、雨の量、風などのお天気の状態に左右されやすく、また、生業とする場合、いわゆる需供バランスによって、市場での価格変動などもあり、不確実な面が多々ある難しい仕事ではある。最近では、学問、あるいは職業訓練としての専門知識やスキルだけでなく、農業を法人化して、IT技術や経営マネジメント手法などを取り入れ生産性などを高める経営としての農業の取り組みも活発化してきたと言われている。

農業への興味は、有機農業の理念を語る青年との恋物語、「おもいでぽろぽろ」(高畑監督)が原点なんだろう。時は1982年、27歳のOLタエ子が、山形東置賜郡高畠上和田(現在の高畠町)の義兄の実家へと一人旅し、かつて小学校5年生だったころの自分を回想していく。誰でも、幼少期に体験した経験が、その後の人生に大きく影響すると言われているが、そんな心の葛藤を描いた映画です。それと当時のその頃の上和田は、有機農業に着手してから、やっと10年目のまだまだ世間からも認知されない時代背景があった。1973年上和田の若い農民が有機農業に着手し34年が経過し、今では、食の安全性や地産地消など生活者の意識の高まりを背景に、当たり前の言葉として生活者にも受け入れられている。去年の6月、そんな当時の有機農業の活動をドキュメンタリーで綴った映画「いのち耕す人々」(原村監督)を見る機会があった。約20年前に記録撮影していた10時間フィルムがお蔵入りしていたものを掘り起こし、現在の姿を含め、企画したものです。200名収容の会場(大阪国際交流センター)は、立ち見の人を含め、超満員でその関心の高さを実感した。

〜 土を耕し、いのちを育てる農業の営みが農民の魂を育み、都会の人たちの心も耕す 〜 

商業ベースの農業は、少しは経営マネジメント力などが問われるかもしれないが、それよりも土を耕し、土を育てることが、農業の本質であり、コアコンピタンスでしょう。土をいじり、耕すのが、百姓の楽しみでもある。農業は、自然との闘いでもあるし、共存でもあるかもしれない。ほっておくと自然に負けてしまうし、攻めすぎると自然が負けてしまう。時には手を抜く適当さが大事かもしれない。自然との共存、調和ということがあるとすれば、こんなところかもしれない。まぁ、「そこに山があるから・・・」という山登りと同じで、そこに大地があるから、耕し、土と語らい、夕暮れには鍬をおろす。そんな純朴なところが、楽しく面白い。菩提寺である妙心寺・退蔵院の副住職が、お彼岸での檀家会の席で来年の春から有機米づくりをやろうということを話されていたそうです。百姓を生業にするには、まだまだ未熟で耕し不足であり、まずは有機米づくりから楽しんでこようと思う。でも、おいしいご飯は、米・水・釜・火・・・そして少しの手間と家族団欒があって、初めて実感できるもの。いろんな種類のお米、ブランド米もありますが、一得一失、米は米ですかね。いかがでしょうか。

「飯盒すいさん頼むよ。飯盒の水加減、適当でいいよ」
「電気釜ないの」
「あるけど電気釜は電力パワー不足でここでは使えない」
「それにしてもこの渓流の水、すっごく冷たいね」

 パチパチパチ

「そろそろ、火からおろして、逆さにして蒸してね」
「お米が立っているよ。本当にご飯おいしそうや」
「それはよかった。自分でやるからそう感じるんじゃないのかなぁ」
「そんじゃ、今度は稲から育ててみるよ」
「まぁ、楽しんでよ」
「うん、がんばるよ」
「がんばらなくても、稲はほっといても結構育つよ」
「そんじゃ、がんばらないでお米作るよ」
「でもお米にするには重労働だよ」
「そんじゃ、がんばらないとダメじゃん」
「竿灯進歩(かんとうしんぽ)だよ」

京都山小屋の住人

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