第75章 故郷は心の縁(2009.11.22)
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友が京都北部にある田舎の中古物件を購入したというので泊りがけで伺った。本家から分家した元新家の物件ということだ。戦後、まもない貧しさもあったようで、当初から古材も利用した安普請の家だったようだ。学生の時に朽ちかけた茅葺の家の前でモノクロ写真で記念撮影をして以来、何度か田舎物件を探してきたが、山小屋は別格として、その一歩が踏み出せていない理由が漠然ではあるが理解できたような旅でもあった。

・黒光りした柱
・柱にあった身長を測った印
・柱時計があったであろう古い浸み
・何気なく打ってある釘
・柱に備え付けの小さな鏡
・大きな布団ダンス
・天井裏にある長持
・古新聞の日付
・地域の地図入りカレンダー
・古びた木臼
・家紋入りの提灯
・仏間・・・・・・・・・・・等々

お彼岸には提灯片手にご先祖様へのお参り、大晦日には子供総出で餅搗きなど、この家、この村で生きてきた証を垣間見ることができる。そんな過去の遺物を見ると、ふと、もの寂しさが込み上げてくる。しばらくすると、そこに住んでいた人たちの姿、会話、営みが不思議と見えてくる。それは勿論怖いものではなく、懐かしい感じである。そんな思いを理解した上、この家に新たな息吹を与えることが大切だろう。迷信かもしれないが、それを意識しないで手を入れた家は残念ながら、途絶えてしまった事例は事欠かない。特に水まわりをさわることは慎重にしたい。池を埋めることは避けた方がいいと祖母などからも聞いたことがある。縁起の良い家、悪い家、それは、そこに住む人の営みだけで片付けられない必然があるのだろう。まずは、そこに居るご先祖への感謝の念も込めた儀礼だけは避けて通らないほうが無難だろう。もちろん、今回もこの土地に入る前には、しっかりとその縁(えにし)に、そして奥の山の中にある墓まで足を伸ばし、手を合わせ、合掌した。

その晩、柱時計の夢を見た。

「今夜はおおきにありがとう」
「柱時計、久しぶりに思い出してくれてありがとう」
「晩酌に付き合ってくれて、久々とても賑やかで楽しかったよ」
「また、いつでも遊びに来ておくれなぁ」
「カチ、カチ、カチ、ボ〜ン、ボ〜ン・・・・・」

家はやはり家族のバトンタッチの基本となる場である。でも、そんな家が絶えてしまっても、家族の心の中にはきっと生涯、生き続けていることだろう。田舎や都会に移り住むのも、心の故郷があれば、どこで住もうときっと大丈夫だ。新天地を求め、そこで家族や新たな仲間の絆を構築できる。そして、そこが新たな心の故郷となる。

ムラでは過疎化対策として、田舎ブームに乗じて様々な誘致作戦に出ている地域がある。ある意味、ムラの鎖国からの開放とも言える。田舎暮らしの憧れは、たぶんに「自分らしい生き方」を求めてのものが多い。でも、自分らしい生き方とは、これがかなり難しいテーマではある。なぜなら、自分とは何かが実はよくわからない。他人のことは、ある程度、簡単に決め付けができるものだが、自分となるとなかなかそれができない。また、真正面から自分と向き合って考えることもほとんどないだろう。「自分らしい生き方」というよりは、「金も名誉も地位も求めない」とてもお気楽な生き方、これはきっと文字通り楽な生き方だ。さて、それが本当にできるかどうかは、たぶんに仏門にでも入らなければ、無理かもしれない。田舎ブームはさて置き、都会人でも田舎人でも、それぞれが夫々の故郷の温もりがあるに違いない。これからも故郷は心の拠り所であり続けるに違いない。それを拠り所にして、仕事をし、家族や仲間と共に生きることが幸せということかも知れない。

芒が風になびく里山は裏日本特有の冬の走りであったが、市内に近づくや秋の夕暮れの中、汽車の中で唱歌「故郷」を口ずさんでいた。

「兎追ひし かの山」「忘れがたき 故郷」
「如何にいます 父母」「恙(つつが)なしや 友がき」
「志を はたして」「いつの日にか 帰らん」

京都山小屋の住人

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