第10章 文明開化の灯火・電気(2004.5.25)
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ランプの生活もまんざらではないけど、やはり電気はいい。ましてやそれが太陽発電となればなおさらだ。電気はやはり明るい。読書が簡単にできる。渓流への水汲みの道中もかなり明るい。懐中電灯も不要だ。実は電線が400メートル手前まで来ている。関西電力も動いてくれたが、途中、地権者の許可がいた。簡単には頭を縦に振ることはないだろうとの感触だった。そこまでほしい電気ではなかった。ランプのあのぬくもりのある光で満足していた。テレビも要らない。ラジオがあれば十分だった。7時のニュースとたまにナツメロを聴く程度で十分だからである。ある意味、不便な生活をエンジョイするため、山小屋に来ているのだ。しかし、太陽電池や水力発電、風力発電は別だ。化石燃料に頼らない、その仕組みには興味があった。環境に優しいなどと云った感傷的な理屈ではなく、そのシンプルな仕組みに魅力を感じた。
早速、電気の専門家を誘い、中古のパネル(昭和シェルSP75)、コンバータ、コントローラ、デュープバッテリー等々を揃えて山小屋へ向った。当日は天気予報では快晴だったが、不思議と朝方は時雨、日中も曇りがちの不思議なお天気だった。前回訪れた際に、日のあたる個所をある程度、確認していたので、一番最適と思われる場所に設置したと思った。翌朝はうっすらかすみ雲がかかる晴、太陽が高く昇るのが待ち遠しかった。まだか、まだかとパネルが太陽光で輝くのを眺め続けた。
「なかなか、パネルに太陽光が当らんね」 「そういえば、前回見たときより、日の出の位置がかなり上、北側から出てきた感じや」 「この位置では、真上過ぎても、影が出来て、発電効率が余りにも悪すぎるな」 「う〜ん、あそこがここよりはベストかな。撤収。再設置しよう」
確かに、春分の日以前に比べて、太陽が山から顔を出す位置が、北に相当の距離、移動していることに気づいた。こうして、折角、木登りまでの苦労して昨日設置した太陽パネルを取り外し、再設置した。パネルは金属フレームも付けていることもあり、それなりに重量がある。梯子を慎重に上りつつ、バランスをとりながら、パネルを再設置した。今度の場所は、おそらく朝9時頃から午後3時頃までは太陽光が照射すると思われる。でも、発電ピークはお昼前後の3時間程度である。周囲が山に囲まれていること、木の枝がけっこう影を落とすこともあり、ベストの設置場所ではないが、週に1回程度であれば、部屋の照明や外灯の夜通し点ける位は全く問題ないとの電気専門家のコメント。未だ、その感覚が把握できていない。電気のことはまったく素人のため、今でも電灯が光るまでの仕組みがよく分かっていない。当面結果、オーライということで、次回の渓流からの水揚げポンプシステムの構築まで、今回のシステムを参考に、しっかり理解したいと思っている。早速、エレキを得たことで、中古の衛星放送アンテナとTVを超安価に入手した。最初にキャッチした番組は、早朝に小泉総理が訪朝するライブニュースであった。日頃の言動イメージから、あまりにも早急なパフォーマンスに見えたのもTVならではのものであった。彼の国の真の怖さ、狡さ、巧妙さを実感できない日の出国の大将が少々茶番に見えたのも、鉄のカーテンアレルギーが残っているからだろうか。でも、ラジオではこの感覚は得られなかっただろう。それにしてもTVの消費電力が100W、山小屋ではかなり贅沢な代物です。
本システム発電量予測:2.8A*3.3時間/日*6日=55AH 12V*55A=660WH 当日の天候(かすみがかかる晴)
この先、中国人、インド人の大半がエアコンや車を使いだしたら、小学生当時で教えられた化石燃料の枯渇が現実味を帯びてくる。これからの先進国は、恐竜なみのゆっくりした時間の使い方が問われているのかもしれないが、今の日本を維持することは不可能だろう。せめて、山小屋での生活は、スイスや北欧なみのQOLは無理だけど、牧歌的な東欧の生活レベルは維持したい。
もうすぐ、太陽光発電や燃料電池の個人保有が新たなステータス・シンボルになるような気がする。「ベンツが売れなくなる日」も近いか。偽セコムのシールなどと同様、ダミーの太陽電池パネルを屋根に載せる見栄っ張りも登場することでしょう。
「木登大好症候群」でもあり、中小事業者向けにニュービジネスでも仕掛けることにしょう。
(次回に続く)