第98章 COVID-2019(2020.5.8)
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古代から生命を脅かす疫病はとても恐ろしいものだった。その原因や治療方法などがわからない恐怖が根底にある。
社会基盤を揺るがす怖れのある疫病は人々を悩ませ、ときには歴史の流れを左右するほどの猛威をふるった。
京都を襲った天然痘、麻疹、疱瘡、水疱瘡などの「流行病(ハヤリヤマイ)」。平安京の時代から疫病退散のため、祇園の神さまを祭って神輿を送り、災厄の除去を祈ったのが祇園祭の起源と云う。
死に至る病の恐怖、人々はこれを癒すため、防ぐためとして、養生法や呪術などによりこれらの疫病神を退治するための儀式が行われてきた。
今回の新型コロナだけでなく、新型肺炎(SARS)や鳥インフルエンザが引き起こしたパニックが示すように、昔と同様に社会的不安、差別などを引き起こすその脅威は今日でも衰えていない。
宗教もその本質はこのような人々の不安や恐怖などから解放するためのものでもあったことが容易に想像できる。今でも何か災いなどがあると、多くの神社仏閣では祈祷や読経などが行われる。
6月末と12月末に行われる茅の輪くぐりも無病息災の儀式、神頼みの一つである。
今回の新型コロナウィルスの恐怖も、今までの疫病の類と同じで目に見えない恐怖、三蜜回避により基本的な人間社会のシステムの崩壊に至った。
その結果、経済活動はリーマンシックを遥かに超え、世界大恐慌以来の停止状態にある。原油価格も大きく需要と供給のバランスを欠き、値が付かない状況にもなった。
これを引き金に、再び大きな戦争の惨禍が起こらないとも限らない。これを機に、世界の覇権争い、経済戦争は激化することだろう。
さて、今回の災いが我々の生活、生き方にもたらすものは何なんだろうか。
ワクチンや治療薬が開発され、この災いが終焉すれば、また、同じように元に戻り生活することが本当にできるのだろうか。
そもそも持続可能な経済発展、ゴーイングコンサーン、環境との調和、大量消費社会での買占め・買溜め、使い捨て、飽食の時代と云ったコンセプト・・・数多くの課題が浮き彫りとなった。
これから終息の過程において中小零細企業を中心に多くの会社が倒産し、富の格差もますます拡大することが予想されるなか、すでに新型コロナ後の出口戦略も模索されている。
「喉元過ぎれば、熱さ忘れる」の通り、単に元に戻ることだけでよいのだろうか。いや、今後は社会も新たな方向性を模索し進んでいくことだろう。
「マスクと10万円、どしょうか」 「両方とも使えばいいんよ」 「マスクは使わんよ」 「どうしてやぁ」 「これから暑くなるし、それにここは蜜でもないしなぁ」 「でもスーパーには行くんやろがぁ」 「いかんよ、移動コンビニが家の前まで来るがぁよ」 「そうやなぁ、マスクして山仕事はありえんしなぁ」 「ここ最近、ますます空気が澄んでいるような気がするな」 「そうやろがぁ、天の川がすんごくきれいや」 「ところで10万円は何に使うんやぁ」 「水もコメも味噌もあるしなぁ、使うところもないし、欲しいものも特段ないなぁ」 「いっそ家族の分、村にでもふるさと納税で寄付でもするかなぁ」 「でも、わずか2口やぁ」
「COVID-19」拡大の中、多くの人たちが命を落とし、多くの悲しみや不安などがある。ここ平安京の地、京都から疫病退散、安穏を祈願・・・ここに消災呪を唱え、星に祈りを捧げる。それと同時に、今までの生き方を見直す良い機会とならんことを自らに問うた次第。その解は自然(じねん)だろうか・・・。
(次回に続く)